大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)1865号 判決 1968年9月24日
原告
森下富蔵
ほか一名
被告
龍和雄
ほか一名
主文
一、被告らは各自原告森下富蔵に対し金二、五四〇、五五四円、原告森下しげに対し金二、三一七、五四四円、及び原告富蔵については内金二、一八〇、五五四円に対する、原告しげについては内金一、九七七、五四四円に対する、いずれも昭和四一年五月一二日から右各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
一、原告らのその余の請求を棄却する。
一、訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担、その余を原告らの負担とする。
一、この判決の第一項は仮りに執行することができる。
一、但し、被告らにおいて各自原告らに対しそれぞれ金二、〇〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第一原告の申立
被告らは各自、原告森下富蔵に対し金五、三一六、八九五円原告森下しげに対し金三、九八一、二〇二円、及び原告富蔵については内金四、八〇六、八九五円に対する、原告しげについては内金三、六二一、二〇二円に対するいづれも昭和四一年五月一二日(訴状送達の日の翌日)以降右各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。との判決並びに仮執行の宣言。
第二争いのない事実
一、本件事故発生
とき 昭和四〇年六月一三日午後七時四五分ごろ
ところ 大阪市住吉区北島町六番地先横断歩道上
事故車 小型三輪貨物自動車(大六み五〇九号)
運転者 被告守彦
被害者 亡森下稔(当時一七歳一一ケ月)
態様 降雨のため湿潤していたコンクリート舗装の前記路上において、北から南に向け第二通行帯を進行中、先行車の停車に続き、ハンドルを右に切り、急制動をかけてスリツプした事故車と、足踏自転車に乗り横断歩道を横断していた被害者とが衝突し、被害者は転倒して、頭部打撲傷、脳挫創の傷害を負つた。
二、事故車の運行供用
被告和雄は事故車を所有しこれを自己の営む土建業のために使用していた。被告守彦は被告和雄の実弟であると共に、同被告に使用されている者で、当時被告和雄の右事業のため事故車を運転していた。
三、損害の填補
原告らは自動車損害賠償保険より金一、〇〇〇、〇〇〇円被告守彦より金五〇〇、〇〇〇円の支払いを受けた。
四、訴外森下稔の死亡、及び原告らとの身分関係。
同訴外人は昭和四二年四月一二日死亡した。原告富蔵はその父、原告しげはその母である。
第三争点
(原告の主張)
一、事故の態様
事故車は、前車との間隔約五メートルで、時速約五〇キロメートルで進行して来たところ、前記運転操作によるスリツプにより横断歩道上に突込み、一八〇度回転して北向第三通行帯で停止したが、その際本件事故が発生した。
二、運転者の過失
本件事故発生については、被告守彦に、事故車運転上前方不注意、追従(車間距離・時速)不適当の過失があつた。
三、損害
(一) 傷害の程度
受傷以後意識全く喪失のまま(後死亡)。
(二) 訴外稔の蒙つた損害
(イ) 逸失利益 三、九〇二、四〇五円
同人は、本件事故のため、廃人同様となり、その後遂に死亡するに至つた。同人の事故当時の収入は月額一四、〇〇〇円であり、爾後四五ケ年は就労可能であるから、その間の得べかりし利益を年五分の中間利息を控除してホフマン式計算法により算定すると、その現価額は三、九〇二、四〇五円となる。
(ロ) 慰藉料 一、五〇〇、〇〇〇円
(ハ) 前記支払を受けた保険金一、〇〇〇、〇〇〇円を(イ)逸失利益に充当する。そうすると右充当後の訴外稔の損害額計は、四、四〇二、四〇五円となるから、これを同人の両親たる原告らが各二分の一の相続分を以て相続すると、その各相続額は、二、二〇一、二〇二円となる。
(三) 原告富蔵の損害。 計五、三一六、八九五円
(1) 前記亡稔損害相続分、二、二〇一、二〇二円
(2) 亡稔の付添看護のため失つた収入。七〇〇、〇〇〇円鉄板加工業(鍋製造業)を営み、一ケ月少くとも七万円の収入を得ていたところ、昭和四〇年七月一日より同四一年四月末日までの一〇ケ月間、亡稔の付添看護のため、右の得べかりし利益を失つた。
(3) 亡稔の入院費等、二五二、四五〇円
内訳(a)入院雑費 六五、一一〇円
(b)交通費、電話代見舞客費用 一五九、三四〇円
(c)附添費 二八、〇〇〇円
(4) 亡稔の栄養補給費 六五三、二四三円
昭和四〇年六月一四日から同四二年四月一一日(事故翌日より死亡前日)まで、六六七日分、一日当り少くとも一、七二九円を要した。
その合計一、一五三、二四三円に被告らより充当を受けた金五〇〇、〇〇〇円を充当する。
(5) 慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円
将来の望を託していた訴外稔を本件事故により失つた。又同人の看護のため、前記営業を中止するの止むなきに至つた。
(6) 弁護士費用五一〇、〇〇〇円
前記(1)ないし(5)の損害額の約一割。
(四) 原告しげの損害。計三、九八一、二〇二円
(1) 前記亡稔損害相続分二、二〇一、二〇二円
(2) 亡稔の付添看護のため失つた収入四二〇、〇〇〇円 夫富蔵の鉄板加工業の共働者として、一ケ月少くとも二万円の収入を得ていたところ、昭和四〇年七月一日より同四二年三月末日までの二一ケ月間、亡稔の附添看護のため、右の得べかりし利益を失つた。
(3) 慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円
算定事情原告富蔵に同じ。
(4) 弁護士費用三六〇、〇〇〇円
前記(1)ないし(3)の損害額の約一割。
四、和解成立、債権放棄の抗弁について。
(一) 原告ら及び亡稔が、被告和雄に対し本件損害賠償請求権を放棄したことはない。そのことは示談書(乙一号証)においても、被告和雄が全く当事者になつていないことから明らかである。
(二) 原告両名が、被告守彦に賠償請求権を放棄したこともない。
(三) 亡稔と被告守彦の間において、亡稔の法定代理人たる父富蔵が、被告守彦に対し、その賠償請求権を放棄する旨の意思表示をしたことはあるが、右は真意にもとづかずなしたものであり、被告守彦においてもそれを充分了知していたものであるから、その意思表示は心裡留保として無効である。すなわち、右意思表示は、被告守彦が、兎に角早く警察に出さなければならないので、そのためだけのものであると称して、勝手に示談書なる書面を作成して来たのに対し、原告富蔵が、ただ警察に対する関係だけの形式的なものであると考え、これをなしたに過ぎないものである。
(四) 仮にそうでないとしても、健康保険による治療費の給付が右和解の条件となつているところ、右保険による給付がなされなくなつたから、賠償請求権を放棄する旨の意思表示の効力は失われたというべきである。
(五) 更に仮にそうでないとしても、前記意思表示がなされた昭和四〇年一〇月八日当時においては、亡稔は翌年一月頃には退院できる見とおしであつて、前記和解ないし意思表示も、かかる事情を基礎としてなされたものであるから、その後亡稔が全く意識回復の見込なく廃人となり、死に至つたものである以上、右の和解ないし意思表示の有無は本訴請求と関係がないというべきである。
五、よつて被告ら各自に対し、原告富蔵については上記三、(三)の損害金計五三一六、八九五円、原告しげについては三、(四)の損害金計三、九八一、二〇二円及びそれぞれ各弁護士費用を控除した原告富蔵については内金四、八〇六、八九五円に対する、原告しげについては、内金三、六二一、二〇二円に対する、いづれも訴状送達の翌日(昭和四一年三月一二日)以降右各支払いずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(被告の主張)
一、事故の態様
本件事故現場附近は当時、土砂降りの雨で見とおしは極めて悪かつた。而して事故車は、現場より約三〇〇メートル手前の交差点から一斎に南進して来た車両郡のうち、第二通行帯の先頭より四台目に位置して時速三五ないし四〇キロメートルで進行して来たものであるところ、亡稔は、下駄履きのまま自転車に乗り、横断歩道西端にさしかかつて、右車両群の接近を認めたのであるから、一旦停止して右車両群の通過を待ち、左右の安全を確かめた上横断すべきであるのに、一旦停止せずそのまま横断歩道を横断しようとしたため、これを認めた第一、第二通行帯を進行していた事故車の先行車は急停車したが、事故車運転の被告守彦からは、第一通行帯の先行車にさえぎられて右横断が確認できず、先行車の急制動信号により、直ちに自車も急制動をかけ、ハンドルを右に切つたものの、そのままスリツプして横断歩道まで進出し、そのとき初めて亡稔の自転車を発見したので、更にハンドルを右に切ろうとした際、右自転車が突進するような形で事故車に触れ転倒した。従つて被告守彦としては最大限の可能な措置をつくしたものである。
二、過失相殺
仮りに被告守彦に過失があるとしても、右のように亡稔にも重大な過失があり、その割合は亡稔において八〇パーセントとみるべきであるから、斟酌されねばならない。
三、示談の成立
被告ら原告ら間に昭和四〇年一〇月八日、左のような示談が成立した。
「(1)亡稔の治療費は同人の加入している健康保険を適用する。(2)保険適用外の従来の治療費は被告らが負担する。(3)被告らは原告ら(但亡稔を含む)に対し金五〇〇、〇〇〇円の示談金を支払う。(4)原告ら(但亡稔を含む)はこれにより本事故に因る一切の損害賠償請求権を放棄する。(5)自賠法保険金は被害者請求をして原告ら(但亡稔を含む)が受領する」
右によつて原告ら及び亡稔は、該示談による金員の他は一切の損害賠償請求権を放棄したものである。
なお、右示談成立当時、亡稔は回復の見込がない状態であり、たとえ同人が死亡しても右以外は請求しないというところまで話合いを進めて示談成立となつたものであり、強制保険も既に最高額が支給されていた。又健康保険の給付は原告から希望したもので、その給付の前提があつたからこそ、五〇〇、〇〇〇円の高額の示談が成立したのである(結局は健康保険組合から被告に求償されたのであるが、予じめそれを知つていれば、示談金はもつと低額となつたであろう)から、右保険給付を受けられなくなつたから債権放棄の効力がない等の主張は失当である。
四、一部弁済
被告らは、原告らに対し必需品購入費一〇五、〇〇〇円、病院支払四〇九、五七六円を弁済している。
第四証拠 〔略〕
第五争点に対する判断
一、事故の態様並びに被告守彦の過失
被告守彦は事故車を運転して、時速約四〇キロメートル、先行車との車間距離約四メートルで本件横断歩道にさしかかつたが、先行車が急停車したのを認め、折柄の雨に自車もそのまま急停車すれば先行車に追突すると思い、ハンドルを右に切り、右前方に進みつつブレーキをかけたが、右横断歩道を東から西へ横断中の亡稔と衝突、本件事故に至つた。(〔証拠略〕)そうすれば、本件事故発生上、被告守彦には原告主張のような運転上の過失があつたものといわなければならない。
二、損害
本件事故により亡稔及び原告らは次のとおり損害を蒙つた。
(一) 傷害の程度
原告ら主張のとおり認められる。(〔証拠略〕)
(二) 亡稔の損害
(1) 逸失利益一、一一五、〇八八円
月収額、就労可能年数は原告主張のとおり認められるが、同人は本件事故のため死亡するに至つているので、右収入額より生活費を差引くべきところ、同人の生活費は月間一〇、〇〇〇円を下らぬものと考えられるので、これを控除して、右就労可能年数間の得べかりし利益を、ホフマン式計算により年五分の中間利息を差引き算定すると、その現価額は右額となる。
算式(14,000円-10,000円)×12ケ月×23,231(係数)
(2) 慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円(〔証拠略〕)
(三) 原告富蔵の損害計二、五六五、五五四円
(1) 前記亡稔の損害を、原告しげと二分の一宛相続した額。
一、〇五七、五四四円
(2) 亡稔の付添看護のため失つた収入
原告富蔵が鉄板加工業を営み、右営業から月間九〇、〇〇〇円近い利益を挙げていた(この収益には妻たる原告しげの労働による分も含まれている)ことが認められる(原告富蔵本人尋問の結果)が、たとえ亡稔が意識喪失のままであつたにせよ、その看護のため、長期間に亘り全く営業を停止することが余儀ないことであつたと認めるに足るものはなく、右収益を失つたことが、本件事故に相当な損害とは認め難い。
(3) 亡稔の入院費等六五、一一〇円
入院雑費として右額を認める他は、いずれも本件事故に相当な損害として認めるに足るものがない。(〔証拠略〕)
(4) 亡稔の栄養補給費五八二、九〇〇円
医師の指示による栄養補給を次のとおり要した。
一日当り額 一、七〇〇円
期間 少くとも昭和四〇年七月一四日から同四二年四月一一日まで。六三六日間。
右合計一、〇八二、九〇〇円に、被告らより支払を受けた五〇〇、〇〇〇円が充当されたと認められるので、残額は五八二、九〇〇円となる。(〔証拠略〕)
(5) 慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円
長男たる亡稔を失つた(甲七号証)。その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すると右額が相当
(6) 弁護士費用三六〇、〇〇〇円(〔証拠略〕)
以上合計三、〇六五、五五四円に、支払いを受けた自賠保険金一、〇〇〇、〇〇〇円を原告しげと半額宛の金五〇〇、〇〇〇円充当すると、残額は金二、五六五、五五四円となる。
(四) 原告しげの損害計三、七一一、二〇二円
(1) 前記亡稔の損害を相続(1/2)した額。
一、〇五七、五四四円
(2) 亡稔の付添看護のため失つた収入。四二〇、〇〇〇円原告ら主張のとおり認められる。(〔証拠略〕)
(3) 慰藉料 一、〇〇〇、〇〇〇円
算定事情原告富蔵に同じ。
(4) 弁護士費用 三四〇、〇〇〇円(〔証拠略〕)
以上合計二、八一七、五四四円に前記自賠保険金の半額五〇〇、〇〇〇円を充当すると残額は二、三一七、五四四円となる。
三、示談成立・債権放棄について。
昭和四〇年一〇月八日、被告和雄方において、原告富蔵と被告和雄の妻美智子との間に、被告ら主張のような趣旨の示談内容を記載した龍守彦代理龍和雄、森下稔父森下富蔵名儀の示談書が作成手交された。而して右示談書は、原告富蔵が、被告方から警察より速やかに示談書を提出するよう求められており、被告側としては被告守彦の処分を按じていることであるので作成に応じて欲しい旨懇請され、加害運転者としても思いがけない事故で謂はば災難というべきであるし、少しでも罪が軽く済んでくれれば結構だと考へ、被告側において、あらかじめ、右示談条項を概ねを記入し作成されていた示談書に、金額は一応五〇〇、〇〇〇円と定めた上、署名して作成されたものである。(〔証拠略〕)
尤も、乙一号証の内容記載の状態並びに被告龍美智子、同幸嶋良の各証言中には、右示談が真正に成立した旨の被告ら主張に添う部分もあるが、当時亡稔には早期快復治癒の確たる見とおしがあつた訳でなく、むしろ受傷以来ずつと意識を喪失したままで、少くとも相当長期の治療等を要するか、或いは恢復しえない場合も充分予想しうる筈であつたこと、従つて治療費は健康保険によりうるとしても、従来の経過に比し、栄養補給費、付添費(ないしは付添により生ずる損害)、休業補障費等の損害が相当多額に昇ることも充分考へうることであつたこと、他面、従来の右のような諸費用殊に目前必要な出費については、その都度被告らから支払いがなされて来ており、又自賠保険金の支払いも遠くない将来に予想し得たことで、原告らには、亡稔の傷害並びに治療経過に照らして決して高額とは云い難い金額を以て早期の示談成立を急がねばならなかつた事情を認めるに足りないこと(〔証拠略〕を総合認定)などに照らし考へると、いづれもにわかに採り難い。そして、そうとすれば、前記示談書によつてなされた原告富蔵の意思表示は、少くともその示談金額の点においては、右示談書を早期に捜査機関に提出する必要のため、当時の亡稔の症状等から一応さし当つて金五〇〇、〇〇〇円として記入したもので、これを以て最終的な示談解決金額としたものでなく、かつ相手方たる被告らにおいてもこれを知つていたものといわねばならないから、心裡留保として無効と解すべきものである。而して以上の他原告ら被告ら間に示談が成立する事実を認めるに足るものはない。
四、一部弁済について。
被告らは、原告富蔵に対し、亡稔の入院雑費中二五、〇〇〇円を支払つている。従つてこれを原告富蔵の前記損害額より差引く。(〔証拠略〕)
その余の被告ら主張の弁済金額は、前認定の本訴損害に対するものとは認められない。
五、過失相殺について。
本件全証拠によるも、亡稔に損害額算定上斟酌するに足る過失があつたことは認められない。
第六結論
被告らは各自原告富蔵に対し金二、五四〇、五五四円、原告しげに対し金二、三一七、五四四円、及び原告富蔵については右金額より弁護士費用を控除した内金二、一八〇、五五四円に対する、原告しげについては、同じく弁護士費用を控除した内金一、九七七、五四四円に対する、いづれも本件不法行為の日以後である昭和四一年五月一二日から右各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わねばならない。
訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条、仮執行および同免脱の宣言につき同法一九六条を適用する。
(裁判官 西岡宣兄)